読書メモ 『「読む、書く、話す」脳活用術』著:茂木健一郎

            <h1>脳活用術を読んで気になったポイント</h1>

文章がうまくなりたければ、人生を充実させる。

文章のうまさっていうのはアウトプットの表現力だとか情景だとか感情といったものかな。つまりどれだけ細かく伝えられるか、どれだけリアルに伝えられるかっていうこと。物事をそこまで深く伝えるには、自分自身がより深い体験をしていないと再現するのは難しい。それが「人生を充実させる」っていうことなのだろうなぁ。

僕自身うまい文章を書いていきたいと思うのだけれど頭の中に浮かぶ言葉が全て文章化できるわけじゃない。

細かいニュアンスだとか「こう考えたからこの回答が出てきた」という一連の流れなどを頭の中では再生できても、言葉としてアウトプットできていないということはもっとリアルに自分が経験し学ばないといけないことなのかもしれないなぁ。

自分の文章の向こう側に、誰が座っているのか。

誰に語りかけるものなのか?自分自身、家族、親戚、友人、あなた、自分を知っている人、多くの見知らぬ人、どの人を対象とするかによって文章を書く表現方法も変わってくる。今この内容は読んだ本に対して自分自身に語りかけています。

 

 

自分が動くことで、世の中の何かが変わるのかを意識すること。

自分がブログを書くことで世の中の何かが大きく変わるかは「今」はまだ分からないが、ブログを書くことで自分自身の人生を大きく変えるための手段として活用したいと考えている。

何かを作る記事をアップすれば「作ってみよう」と思う人が出てきて同じようにやってみる人が出てくるかもしれないし、自分の書くことに対して共感を持ってもらえたら同じ意思の同士と出会えるかもしれないという期待。

僕自身、ブログを書いて外に発信するというのは「何かの変化」を世の中に与えたいと思っているからであり、誰からも読まれないならばわざわざ公開することもなく書くことすらやめてしまうだろうな。やるからには影響力のあるブロガーになりたいなって思うもの。

 

「あらゆる言葉は音楽として聴くことができる。」

音楽というものがその時代の人々の感性などを表すなら、言葉もまたその時々の人の感性を表すものという点で言葉と音楽は似たような存在なのかもしれない。音楽の奏でるメロディやリズムが「嬉しさ、悲しさ、怒り」を表すように言葉そのものにもメロディやリズムを感じることができる。それらは人々を癒し、人々を奮い立たせ、人々にエネルギーを与えるものとして考えればあらゆる言葉は音楽として聴くことができる。

「言葉は音楽である」というのを改めて見てみると、書いたものより話したものの方が近いのかもしれない。

声の調子、リズム、テンポ、高低差、響き、音の大小。書いたものと言えば楽譜が似たようなものかな?

そこに記された音符は決まったメロディを奏でるけれど、それらを演奏という形でアウトプットする時には「楽譜をどう読むか?」によって表現方法が大きく変わる。つまりこれは人それぞれの感性によって大きく変わる部分でもあるね。