みあぽんねっと!

楽しい、面白いはそこら中にいっぺぇある!!

About Me

みあぽんこと「山中ただし」です。

 
twitter : @miapom
Facebook : tadashi.yamanaka
 
1983年生まれの37歳、茨城生まれの栃木在住です。
 
双子座AB型
 
 
愛車はロシア車のUAZ(ワズ)で夏場は汗だくで運転してます。
(エアコン付いてません)
今現在はミラジーノ!エアコン・パワステ・ATで楽チン♪
 
バイクはSUZUKI DF200(オレンジ)というマイナー車に乗ってます。
今はスーパーカブ(黄色ナンバー)乗ってます。
乗らなさすぎてフロントブレーキ固着して乗れなくなりました(泣)
 
昔は勉強嫌いで文房具なんてまったく興味がなかったのにノートや手帳、その他文房具にも興味をもつようになりました。趣味って年齢とともに変わってくるもんなんですねぇ。
 
 
 
2016.1.31追記 2016年より溶接業の会社に就職しました。
 
 
仕事は溶接業をやっています。本業とは別にレザークラフト用のハンドプレスなんぞ作ったりしてます。 (以前は作って販売してました)
 
電動工具などの分解・組み立て、バス釣り用リールの分解組み立てなど、細かい作業も比較的得意。
 
 
大学卒業して入ったのは段ボール会社(大阪勤務)でラインオペレーター、その後地元に帰って母校で高校講師、実家で自営業をやって現在にいたります。32歳からの転職だけど、製造業とはまた違った職種などにもチャレンジしてみたい。
 
 
 
小学生時代
 
幼稚園のころはとても痩せていて「かけっこ」でもアンカーを走れるほどの俊足でしたが、小学校に入り「自由なおかわりシステム」のためついつい食べ過ぎてしまい、年々「肥満児」へと成長していく。
 
 
上級生になるにつれて健康手帳(っていうんだっけ?)の標準体重の曲線を大きく外れて肥満児を維持。スポーツはまるでダメでした。得意なのは図工で他人と違ったものを作ることに楽しみを感じていました。
 
好きな女の子がいて仲良くしていた(よく遊んでいた)けれど、この時期にありがちな「好きだからからかう」ということをやりすぎたのか中学生になってからは3年間のうちたったの一度だけ会話する程度で終了。
 
 
中学生時代
 
勉強面はまるで苦手になってきて、とくに英語などは先生が優しいので勉強やらずにいたので基本を覚えられず3年間苦労する。(その後大学まで苦労するんだけどね)
 
得意というか好きだったのは美術と技術。絵を描くのが嫌になってきたけど、何かを作るのは好きだったなぁ。木工にしても電子工作にしてもそこそこ早く、それなりのクオリティ。ただほんのちょっと器用なだけだったかもしれない。それで満足しちゃうのでいつも完璧な出来ではなかった。
 
この時期にどっぷりとハマったのはバスフィッシング。愛読書はロッド&リール。
 
お正月を迎える度に釣り具がアップグレードされてました。使っていたのはスコーピオンメタニウムXT、ロッドは何だったかなぁ適当なカーボンロッド。でも憧れはABUのアンバサダーとグラスロッドというオールドスタイル。折れたロッドから部品を取り自作のグラスロッドを愛用してました。
 
 
家の中でも家の前の駐車場でも、しょっちゅうルアー投げて遊んでました。
 
 
 
高校生時代
 
家から近い普通科高校(男女共学)に行きたかったけど、学力が足りずに工業高校(共学なのに99%男子だけ)へ。通学に原付バイクが使えるということもあり、高校時代はHONDAゴリラを乗り回す日々。
 
部活動は自動車へ入部し、HONDAの50ccエンジンを使った燃費競技大会に出場するマシン作りの部活へ。高校までまともに勉強をやってこなかったので、「資格試験だけはがんばってみよう!」と目指せ資格マスター☆という目標をかかげる。
 
3年生になったら何となく自動車部部長になっていて、マシンを動かすというより人を動かすことの難しさに胃を痛める毎日。バイトでも仕事がどうというよりも「人間関係」に思い悩むようになってくる。このころから「人をあやつってやりたい・・・」というダークサイドな部分が現れ、心理学に関する本を読むようになってくる。
 
このようないきさつから「心理学」というものに興味をもち、将来的には「先生」という仕事も面白そうだということで大学進学を決める。
 
 
ちなみに大学を選んだ理由は「駐車場が広いから」というもので、近くの工業大学では早いうちに行かないと車を止められないということから、わざわざ1時間半もかけて「確実に止められる駐車場のある工業大学」に進学。
 
 
大学生時代
1度目の3年生
 
勉強もろくにできずに大学まできてしまい、微分と積分にコテンパンにやられる。
 
1年生の頃は友達もできず、日々孤独・・・。
 
2年生になってからは自動車部(ジムカーナをメインに活動)で友人と仲良くなり大学生活が楽しいと感じる。大学に行けばとりあえずガレージに行き車のメンテナンス。スターレット(EP82)のGTターボ中期型に乗ってジムカーナをやったり、大学近くの峠に遊びに行く毎日。
 
 
3年生でもずっと車。授業に出るよりガレージにいる時間が長くなってきた。バイトをズル休みしてバイクツーリングに行った際にタイヤのバーストで転倒。右足を骨折・・・3ヶ月の入院でテストを受けるも必須科目不合格でもう一度3年生。
 
 
 
 
2度目の3年生
 
前期のうちに進級の為の必須科目もなんとか合格し、後期は休学することに。
 
休学中はネット廃人と化し昼間寝て夜活動。起きている時間の9割以上はパソコン。
 
夕方に起きてパソコン起動、チャットサイトでひたすらチャット、日の出とともに活動終了。また夕方起きる生活。
 
 
 
4年生になって就職を考えるも親のやっている仕事(自動車関連)では働きたくないと思い、全く関係のない職種選び。オーディオ関連、乳製品製造、印刷業、そして「東京丸の内に本社のある段ボール企業」へと就職を決める。
 
 
 
 
社会人
大阪の段ボール会社勤務
 
本社で働くことを夢見ていたのに、気がつけば大阪工場へ配属。
 
大阪はカオス。メンタルの弱い僕は大阪という環境の中で鍛えられた。
 
身体の不調を訴えて病院に行ったら「ウイルス性の急性胃腸炎」だと言われ、休ませてもらおうと会社に電話したら「這ってでも来いや」と電話を切られたのも良い思い出。大阪に行ってなかったら今の自分はないと思えるくらい、壮絶な修行の場だった。当時は辛くて仕方がなかったけど、今はその環境が与えられて本当に良かったと思ってる。大阪は第二の故郷。
 
 
高校講師
 
「会社を辞める」と高校時代のインターネット掲示板に書き込んだところ担任の先生から連絡があり「講師をやってみないか?」と声をかけられ即答で「やります!」と講師契約。
 
2年足らずの社会人経験を生かし(ていると思ってた)、1年契約の常勤講師デビュー。
 
教員になりたいと大学で教員免許を取っていたので夢も叶って有頂天。有頂天すぎて教員採用試験自体を申し込み忘れた年もあり、周りの先生方も呆れてたと思う。うん。
 
 
2年目も契約となり、山岳部の副顧問となる。
 
山岳部は全くの未知の分野だったが、キャンプができることにすごく興味を持ち「登山用品・キャンプ道具」にハマる。体力は全く無く、初めて連れて行ってもらった山では途中でリタイヤして己の弱さを感じる。
 
山岳部の活動をする中で体力も身につき、興味を持った「道具類」の知識も豊富に。ただ山に対する知識は少なく、登ることそのものよりもモノ自体の興味の方が強かった。冬に山岳部顧問だけで行く「冬山登山研修会」はすごく過酷だけれども、辛い状況に立ち向かうことで体力もメンタルも鍛えられるという感覚がとても好きだった。
 
 
講師は4年連続でやってきたがそろそろ家業の自動車部品製造業もやり、自分で「経営をする」ということをやってみたくなり退職。
 
 
 
 
 
家業の後継ぎ
 
自動車部品の溶接業ということでスポット溶接をメインにTIG溶接や火炎ロウ付けを行う。父と母と一緒になって仕事をできるということに喜びを感じるも、「実家で働く」ということに甘えてしまい時間にルーズになり生産量もあまり上がらず収入は激減。
 
あまりに収入が少ない(講師時代より10万くらいマイナス)ので車のローンや賃貸の支払いができなくなり親から借金をするようになる。
 
毎月の収入も上がらないまま親から借り続けるのも辛くなってきたので銀行からの借り入れ、貸金業者からの借り入れ、その他の銀行からの借り入れ・・・いつの間にか多重債務者に。
 
 
しかも取引先の会社がある日倒産し、振り込まれるはずの給料入らない問いう悲劇。いくら働いたとしてもお金が入らない状況もあるのだと学んだ。
 
取引先の会社が潰れたことは仕方ないので心機一転会社名を変更し、その元となっていた会社と契約をしなおして再起動をはかる。しかしその翌年の1月に父が病気で倒れてしまい、精神的にも金銭的にも色々と辛い場を経験する。
 
 
家業の仕事をしつつも、「友人に作ったレザークラフト用ハンドプレス」をブログに載せていたことから注文が入るようになり、生活を支える柱の一部となった。その他にも電動ドリルの修理、治具の作成、アウトドア道具の作成など、自分の手で何かを作りお金を生み出していくことの大切さも学んだ。
 
 
 
2015年いっぱいで家業の仕事を終わらせ、2016年に転職。同じく自動車部品関連の溶接業へ。短いながら経営というものをやってきて、作業者目線と経営者目線の違いを学んできた。僕には足らない部分が多々あるということを実家の仕事を通じて学び、ゼロから「仕事」というものに向き合ってみようと思えた転職。会社に雇われるという働き方は嫌だと思ってた時期もあるけど、会社があるからこそ集中して取り組めるということもあるのだと気づくことができた。