「純日記」なるものがあるのか、ブログはウェブ上のログだから、それが本来のブログなんだよね。

もっと日記らしい日記を書いて良いんだよって背中を押される。

ここのところしばらくブログを書けない日々。日常で忙しすぎて書く暇が無いっていうのもあるし、ブログの方向性とか変えて行こうかって考えもあって身動き取れずにいた。

 

今日、たまたまはてなブログを開いたところ「純日記」なる言葉が目に飛び込んできた。

 

blog.hatenablog.com

「純粋に日々の日記をつづるブログのこと」ということで、昨今のいわゆる稼ぐブログではなくウェブ上のログ(記録)という原点回帰みたいなもんですかね。

 

そもそもそれがブログだよねって感じもするんだけど、アフィリエイトやGoogleアドセンスを使った稼ぐブログが主流な今、純粋に日々の日記をつづるブログってどれくらいあるのだろう?

 

自分が知らないだけで本当はものすごいあるのかもしれないけれど、少なくとも自分の目に入ってくる割合で言えば全体の20%くらい?なイメージかな。僕自身、日々の記録というよりは、日々の中で「作ったものの記録」を残したいと思って始めたブログだから純粋な日記とはまた違う気がする。ブログを書き続けてきた中でどんどん日記化していき、現在のブログがあるわけだけれども、日々のことを純粋に書くというのがなかなかできない。

 

仕事をしてこんなことを感じた、子供と遊んでいてこう思った。など、日々考えたり思ったりしながら生活をしていくわけだけど、それらを文字として書き出し誰かの目に晒されるというのは純粋に恥ずかしくもある。それでいて「日記は書いても読まれない」という『稼ぐブログ』界隈の常識もあるので、それらを考えてしまうと書く手が止まってしまうのよね。

 

自分がこのブログを書き続ける中で大きなテーマがある。

 

「自分が生きた証を残したい」

 

自分が生きてたぞっていう行動の記録や、考えたことなどをネットという大海原に投げておきたいって思うのよね。ボトルに入れた手紙みたいなイメージ?

 

どこの誰が見るかわからない、下手すれば誰にも読まれることなく大海原を漂うだけかもしれないけど、確かにその時代、その場所に自分が生きていたぞっていうログ(記録)を残しておきたい。そう思いながらブログを書いております。

 

日々の記録を残したい気持ちもあるけど、かといってなんでもかんでも自分をさらけ出すのは躊躇してしまう。

 

「誰かの役に立つものを書かないと」とか「意味のある文章を残さないと」と勝手にハードルを上げた挙句に何も書かなくなってしまう。多分、多くのブロガーがそんな感じなのだと思う。

 

だからね、日々の出来事を書く「純日記」という言葉に余計に惹かれたわけなんだよね。あぁ、そうだ。ブログはそれでよかったんだ。と気付かせてくれる。

そんな気づきがあったのだから、これはブログに書いておこうという気持ちで初のタグ付けもやってみた。

 

凝り固まって何も書かない日が続くくらいなら、日々の出来事を記録していく純日記をやったら良いじゃないか。

 

読者登録をしているブログの中にも、これは純日記だなと思うものがいくつかある。それらを見ると「自分の気持ちを言葉としてちゃんとアウトプットできていてスゴいな」と思う。そんな記事を自分でも書いていきたい。