道具(モノ)について考える

日用品であったり、仕事道具だったり、所有する乗り物や趣味の道具などについての自分の考えをまとめていこうと思う。

 モノには「目的を果たすための実用的な道具」と「所有する喜びのある道具(宝飾品)(ストーリーや伝説がある)」などに分けられる。例えば、キャンプに行って料理を作ったとしよう。
A、カセットガスコンロで肉を焼き、100円ショップで買ってきた包丁で切り分けた。
B、20年愛用しているスベア123Rで肉を焼き、オピネルのナイフで切り分けた。
 どちらも肉を焼いて切り分けたという意味の文章であるが、Bの方が雰囲気がありストーリーを感じる。もちろんAがダメだというのではなく、Bのような物語を感じさせるような道具を使い、その雰囲気に酔いしれたいというのが自分の考えだ。
 身の回りには便利で安い道具はたくさんあるが、それのほとんどは使い捨てでダメになれば新しいものに交換というのが普通になっている。それは車であったり、仕事道具であったり、日用品であるが生まれながらに寿命が決まっているのがとても寂しい。車など、「10年、10万kmも乗ればそろそろ乗り換えだとか」「部品は直すものではなく交換するもの」「売るときを考えてキレイに乗る」というのは効率を考えればそういうものかもしれないが、そういうものに本当に心を動かされるものは少ないと思う。
 昔の道具というのは壊れても修理をして使い、子や孫の代まで使えるものであった。道具一つ一つに職人のこだわりや思い入れがあり、そうやって命を吹き込むことで良い良い道具が生まれてきた。経済成長の中で大量生産、大量消費が当たり前になってはきたが、自分が日々過ごす中で使って心地よい道具、思いのある道具に囲まれて暮らしていきたいと思う。
最後に、昔読んだ本の書き抜きをひとつ
「毎日使うものほど良いものを使いなさい。人生は短いのだから。」