こちら過去記事修正版です。(書いたのは2015年7月)
しばらく前に見た映画、「シンドラーのリスト」を観ながら人生や仕事に関することを考えていました。
映 画の中でシンドラーは事業を成功させる(儲ける)ために必要なものは「戦争だ」と言う場面があります。戦争が起こればそこに必要な武器の製造、軍服の製 造、食料、ありとあらゆるものが大量に必要になります。もちろん多くの人が必要になり、雇用も生まれ経済も活性化されます。
それは戦争に限らず、経済成長時の鉄工所やゴールドラッシュといった時代的な背景もからんできます。その時々で一気に成長する企業があったり、長く続く企業があったりするわけです。
そのような時代背景がありつつ、長く生きていく(社会的にも生命的にも)にはどうしたらいいのかととても考えさせられます。
「働くことへの考え方」
映 画の中でユダヤ人は「かばんひとつでやってきて、財を成した」というような表現が出てきます。「後からやってきたのに成功しやがって」という嫉妬がユダヤ 人を迫害するきっかけになっているようにも感じました。これはユダヤ人に限らず、社会的に見てもありがちなもののように感じます。
「新入社員が入ってきて自分より仕事ができることに嫉妬し新人いびりをする先輩」みたいな感じです。
新 人は自分の能力がまだ身に付いていないなりに100%の結果が出せるように努力する。先輩は知識と経験を持っているものの、手の抜き方も知っているので 60%程度で仕事をこなすのでその差に対して新人に脅威を感じてしまう。「このままではいつ追い抜かされるかわからない・・・だから潰そう。」といった感 情。
これは人同士でも会社同士でもありうることだと思います。大きな企業や組織であるほど起こりうる問題。「人間」という感情を持った動物だからこそ発生してしまう争いです。
しかし相手が良く思おうが、悪く思おうがは相手の課題であるため自分にはどうする事もできません。これはアドラー心理学の「課題の分離」というもので、相手の課題には介入しない・できないということです。
自分の課題としては与えられた仕事を100%こなせるように努力すれば良いのであって、その仕事の出来具合を結果的に判断するのは相手にゆだねるしかないのですね。
って、この辺で最初に話したい事と今書いていることへのズレが目立ってきました。(´・ω・`)
文章を書くって難しいですね。言いたい事を書きつつも、書きながら思考していると考えがどんどん広がってそれていってしまいます。
結果的に何が言いたいのか
「 どこででも働ける能力と、どこででも生きていく能力を身につけたい!」
ということです。
しかしその根底にあるのは個人の能力の差ではなく、「考え方がすべて」だと思っています。
僕自身、仕事をやる上で「自分はトップではない。自分よりうまくできる人はたくさんいる」と思っています。それは事実であるかもしれないし、間違いかもしれない。「自分はまだまだです」という謙虚さと、「自分が一番だ」という自信の両方を持ち合わせています。
「まだまだ」という向上心、「自分が一番だ」という自信が目の前のものを作り上げます。
100%だと思って作ったら改良点がすぐ見えてくる場合もあります。本当に完璧に出来てしまったら自分の成長が止まってしまいます。
何かひとつの事に特化してプロフェッショナルとして生きていくのも方法、様々なことに手を出して浅く広く能力を広げるのも方法。これは苦手だからもっと勉強して技を身につけようという方法もあれば、これは苦手だから自分はやめて新しい技を身につけようというのも方法です。
僕は後者かもしれない。何かをマスターするまでに追求するよりも、それなりに出来たら他の事もやってみたくなります。ひとつのことを追求しその道のプロと呼ばれる人には太刀打ちできないけれど、その人はできない別分野であれば勝つことができるかもしれない。
そういうものの見方も「考え方」です。
- 時代の流れによって儲かりそうな分野に挑戦していくのも考え方。
- 時代に左右されず己の道を追求して頂点を目指すのも考え方。
- 嫌な仕事だけど生きるために働こうと思うのも考え方。
- 儲からなくても自分の好きな事をして好きな生活をして生きていくのも考え方。
- 「働かない」という考え方。
- 最初と終わりで「書こうと思った事」がかなりねじ曲がったけど、なんとなくそれっぽい感じで終わりを迎えることに持っていくのも考え方。
「 どこででも働ける能力と、どこででも生きていく能力を身につけたい!」
と言いましたが、見方を変えれば「その道の頂点にはなれない」ということでもあります。言い訳をすれば「ならない」と自主的に考えているのですが、他人から見れば「放棄している」ともとれます。
何が大切か。「自分」です。
他人がどう思うかは気にしないことです。
他人の意見を完全に無視できないなら「気にかけつつも自分ベースで考える」ことから始めてみましょう。「みんな一緒」の教育を受けてはきましたが感じる事・思う事まで「みんな一緒」だなんてあり得ないですからね。
こういう「考え方」もあるんだなって受け入れてもらうために、相手の事も受け入れてみましょう☆