「メモ」という言葉に脊椎反射で食いついてしまう
今日は何についてブログを書こうかなぁと思ったところ、 ゆきにー (id:yuki_2021) さんの記事が目についた。
今までは自分はメモ魔だと自負するくらいに必要あること無いこと何でもノートに書き溜めていた。ポケットサイズのノートだけでなく手帳にもあれこれ書いて、システム手帳が良いのか綴じ手帳がいいのか、それともデジタルなどで全てを記録していくのがいいのか。文字を書くだけなら紙とペンが何よりも早い。何か記録を残すなら写真なら情報量が多いし、その場の空気感まで記録したいなら音声という方法もある。
アナログでの記録の速さは驚異的だけど、たくさんの情報の中から探したいものを見つけるには絶望的。だったらデジタルが最強かといえば、起動のもたつきやバッテリー切れはどうすることもできない。
僕がそうやって今までやってきたことはこのブログの随所で発見できるだろうけれど、今でもアナログか?デジタルか?の決着はついていないし、どちらも並行して記録を残しているのが現状。結果、記録したものがどこに行ったのかわからないし、その中から探すのでればGoogle先生で調べ直した方が早いという・・・もはや何のための記録だったのかわからない状況だ。
記録を活用するのが目的なのに「何を使うか」にいつも惑わされる
現状はポケットサイズのメモ帳、スケジュール帳としてモレスキン、その他記録のためのiPhone(Evernoteを使用)が主な記録ツールである。
以前は何でもかんでもノートに書いていたけれど、そうすると「必要な情報」が埋もれがちになるし、閲覧性はよくない。手帳(スケジュール帳)に何でも書こうとすると、ちょっとした買い物メモなんかはゴミとして溜まっていくし、綴じ手帳であれば書けるスペースも限られるので情報を取捨選択する必要が出てくる。それなら入れ替え自由なシステム手帳が良い気がするのだけど、全てを詰め込む手帳にすればサイズも大きく挟み込むリフィルも膨大になるため重量が半端ない。ちょっとスケジュールを書き留めたい時にそうした大きな手帳は(嫌いではない、むしろ好きだ・・・でも)正直使いにくいのだ。
「全ての情報を一元化したい」
ずっとそうやって言い続けているのにそれができず、ノートと手帳とiPhoneを活用するという状態に落ち着いている。
あれこれ使うと情報が分散、そして気がつけば「記録しない」状態に
最大の問題点はここだ。どのアイテムを使おうかと悩むうちにどれに書くのが適切か?を考えるようになり、気がつけば記録を残していないという状態に陥っている。
イメージ的にはまずは何でも書けるポケットノートに記録をし、予定などはスケジュール帳に書き移す、後から見返したいものはEvernoteに記録するというのが効率的だろう。
そうすれば買い物メモや一時的な記録のものは用事が済めばいらない情報なので「残す」ということをしなくてよい。スケジュール帳には予定ややる事、目標など必要な項目だけが残るし、デジタルの良さを生かしていつでも検索できるというデータベースが完成する。以前はEvernoteに「何でも」書いていたが、結局のところ本当にいらないゴミみたいなものも大量に残ってしまっている。それらを一掃できたら気持ちが良いのだけれど、それをやるにもそれなりの時間が必要になるので今の所は手をつけられないでいる。
メモというものは思い立った瞬間に書けることが何よりも重要で、それが「必要か不必要か」を考える間も無くまずは書き留めることが何よりも大切。それを書き残した上でそれをどう使うのかが次の課題であるのだけれど、僕自身もゆきにーさんと同じようにそれらのメモを読み返さないままになってしまっているのよね。
それに「以前よりメモを取らない」という自覚があるのだけど、それは情報に対する感度が昔よりも上がっているからこそ瞬間的に「残す残さない」の選択をしているのだと思う。それかもしかしたら完全に感度が落ちてしまって「残す」という行動力が無くなってしまったのか。
ここのところブログを書く頻度が激落くんであることを考えると後者である可能性が高い。それだからこそゆきにーさんのエントリーに目がとまり、今こうしてブログを書くことで再確認をしているのだ。
自分の課題は情報感度を上げること、そして書き続けること
僕は物忘れがひどい、だから記録しなければと思うのに「記録すること」そのものを忘れている。まずは情報を受け取るアンテナの感度を上げること。興味関心の幅を広げて深掘りしていく好奇心を掻き立てる。好奇心がないわけではないけれど、感じ取るセンサーが弱っているのを感じる・・・これがオッサン化なのだろうか・・・。
おっと、こういうことを考えていてはいけない。僕の心は永遠の中学生。諦めたらそこで試合終了ですよ。っと。
ここのところブログを書かないでいたのも、書かなかったわけではなく何となく「書けない」状態が続いていた。それは自分のアンテナにに引っかかるものを感じ取れなかったから受け取って発信するということが全くできていなかった。僕は「書くことは人生を書き換えていくこと」だと思っている。書くことで今の人生に何らかの変化を起こすと心の中から思っている。(注:フミコ・フミオさんの神・文章術の影響をビンビンに受けている)
記録したものを見返す・活用するというのは僕にとっての大きな課題の一つであるのだけれど、まずは「書く」ところからもう一度動き出していこう♪