最近のブロガーは他人の目を意識しすぎているのでなかろうか?
こんばんは、他人の目をするブロガー代表のみあぽんです。
他人の目を意識しすぎるあまり、「ブログは自由でいい!」と自分に言い聞かせる記事を何度かあげてたりします(爆)
でも実際、他人の目を気にしてると言いつつ誰かの役に立つようなことを書くこともしないで最近は日記を書いてることが多いので有言実行できてるかなとも思います。
「毎日更新がんばるぞい!」とか言いながら数日ブログを書くこともせずに放置してたりしますが、書くためのモチベーションを高めるためにあえて離れていたようなもんです。
できる限り今日からまたがんばるぞい!の精神で参りたいと思います。
最近購入したこの書籍が最高に面白いです。
神・文章術 著:フミコフミオ
半分くらい読み終えたのでそこまでの感想になりますが、自分という世界観構築のためにみんな「書く」行為をやろうぜ!的な内容です。
それはいきなりブログを書いたりSNSに投稿しまくろうといったものではなく、自分が気になることや考えたことをそのままにせず、文字として「書く」行為を行い自分の世界観を作っていこうというものでした。
確かにフミコフミオ (id:Delete_All)のブログには独特の世界観が漂っています。
僕も書き続けたらあれほどの世界観を構築できるのかしら・・・。
世界観の構築していくにはどうしたら良いか。
それは「書く」ことが前提になるのですが、書くだけではなく「書き捨てる」前提で書くことをススメています。
僕は「書いたもの」を「残す」前提でいたのでこの考え方には目からウロコでした。
なぜ書いたものを捨てる前提で行うのか?
残さないからこそ、自由に、自分の言葉で書くことができる。
残すというのは例えばブログやSNSなどに残す(世間様に公開する)というもので、残すと決めた時点で誰しも肩に力が入ってしまうというものでした。
ブログやツイッターでも投稿したものは後から消すことはできるけれども、そもそも誰かに見られるという時点で他人の目を意識した投稿になってしまう。
だからそんなことを考えず、最初から書き捨てるという意識を持って「書く」という行為をすることで自由に発想し自分の言葉で物事を考えることができる。そしてそれは自分という世界観を作り出す事になる。
そうか!そうなのか!
人それぞれには個性や世界観はあるけれど、書き捨てる意思を持って自由に書くことでそれらの世界観を構築することができるのか!
自分は9年間ブログを書き続けてきたけれど、途中で「こんなこと書いてて意味はあるのだろうか」「なんのために書いているのだろう」「日記を書き残すことに意味はあるのか?」なんて思いつつもなんとなく「ブログが好きだから」という気持ちで続けてきた。
毎日更新してた期間も数年あるし、ここ最近は不定期更新で数日間何も書かないこともしばしば。自分がブログをどうしていきたいか不明なまま、それでも続けたいという気持ちを持ってやってこれている。
僕が今まで書いてきたことで、自分なりの世界観も多少なりは出ているのかもしれない。知らんけど。
でも今の自分は「自分らしさのあるブログを書きたい」という気持ちがあり、そこに必要なのは「世界観」だという気づきが得られた。今までも「書く」ということはやってきたけれど、書き捨てるという気持ちで書くことを取り入れてみようと思う。
これは「ブログ作り」とか「文章術」といったテクニックの部分ではなく、それを書く人の個性や世界観という唯一無二を生み出すための方法なんだと思う。
僕自身が最近感じる「ブロガー」という言葉に対する気持ち悪さはこういうところにあるんだろうな。ブロガーと言いつつも、やっていることはアフィリエイターやんけ!っていうね。
商品を売るブログ・・・それはそれで悪いことではないけれど、そこにはそれを書いている個人の個性や世界観は感じられない。誰もが「儲かりそうなワード」でブログを立ち上げて高額な商品のリンクを貼る。
そうやってブログで儲けている人・・・正直羨ましい!
自分がそういうことを徹底的にできない、やることが苦手っていう部分もありつつ、羨ましい!っていう気持ちもある。
でももっと純粋に日記みたいなブログを書いている仲間が欲しいと探し回ってもそういうアフィリエイターのようなブログばかりが目立つのよね。ツイッターで「ブログ仲間募集」ってやってもそういう人が多数なのがちょっと残念。
純粋なブロガー探そうと思っても「ブログ初心者募集!」みたいな感じで、9年もブログやってる僕は逆にそういうタグには近付きにくいのよね。
ってなわけで、僕は僕なりの世界観構築のために日々の生活の中に「書き捨てる」というものを取り入れようと思った次第でございます♪
来年でブログ10周年になるわけで、これが僕の飛躍のキッカケになること間違いなしだね!!!