今日は会社で有休をもらい、父のお見舞いに行ってきた。
昨晩、母からの電話で肺炎が進行していること、脳の機能が低下し食事をすることができないことを伝えられた。
父は数年前に糖尿病で倒れ、その時からてんかんの症状も出るようになってきて数ヶ月に一度発作が起こり病院に搬送されることが度々あった。さらに昔に胃潰瘍の手術において輸血をした際に肝炎も患ったようで肝臓の方も悪くなっていた。
てんかんは脳内に乱れた電気信号が流れ痙攣などを引き起こす病気だが、てんかんの薬というのは数多くあり、その人に合うものが見つかるまで多少時間がかかる。
しかもてんかんの薬は肝臓に悪影響を与えるらしく、てんかんにならないように薬を飲むのに、量が多い場合は肝臓に負担をかけるという負の連鎖でもあった。
一ヶ月くらい前からまたてんかんによる発作を引き起こし入院しているが、今回はそれに加えて体の自由も利かなくなってしまい車椅子生活になってしまっていた。先週お見舞いに行った時は車椅子に座っていたのに、今日はもうベッドで寝たきり状態。
点滴の針を外してしまうことがあるということで手にはグローブのようなものをつけられ、ベットに固定されていた。2〜3日前から食事ができなくなってしまった。食道ではなく肺の方に入ってしまうらしい。
飲み薬は鼻から管で直接胃に流し込み、点滴で必要な水分と栄養を得ていて、口には酸素マスクをつけた状態・・・生命としては生きてはいるけど、人として生きていると言えるのか疑問に思える状態。
僕は昨日の話を聞く限り「もう寝たきりでずっとこのままかもしれない」と思った。昨日は母と兄が面会に行ったがその時はずっと眠ったままで目も開けなかった。先生からは今後の話として「もし容態が悪化した時に延命措置を行うかどうか」について話したらしい。心肺蘇生を行うにしても心臓マッサージを行えば肋骨を骨折してしまう可能性はあるし、様々な薬品投与で延命させることも可能とはいうけれどそれはちゃんと生きていると言えるのか。
僕個人の意見としてはそこまで無理して延命させることは酷なことだと思う。昨日見舞いに行った母と兄の意見も同じだった。
今日面会に行ったら昨日とは違って目を覚ましていた。僕が来たことを言葉で伝えると泣くような表情で「来てくれてありがとう」と言っているように思えた。肺がかなり悪い状態なので話そうとしてもボソボソと何を言っているか聞き取ることが難しい。
僕は携帯で娘の写真を見せて「ほら、○○○だよ。今度七五三のお参りに行くんだよ」と伝えるとまた泣くような表情を見せる父。
僕はお父さんに親孝行らしいことは何もできなかったけれど、娘(孫)を見せることができて本当に良かったなと思う。できれば娘もおじいちゃんに合わせてあげたいのだけれど病室に連れて行くことはできない。
娘が保育所で覚えた歌を歌っている動画の音声を耳元で聞かせてあげたら目をつぶって聞いていた。
昨日聞いた話ではもう寝たきりでどうにもならない状態かと思ってたけど、今日会った父は数日前に車椅子に乗っている時とあまり変わらない印象だった。
体の自由がきかず、時には手足を固定され、一日中ベットに寝ているのはとても苦痛だと思う。一日24時間という時間が永遠のように感じられるのではないか。そう思うとただただ悲しくなってくる。
もしかしたらもう、辛いとか苦しいとか思う思考能力さえないのかもしれない。僕が来たことも夢なのか現実なのかも分からないのかもしれない。何か話かけようと喋るけど、言葉が通じず辛い思いをしているかもしれない。
そう思うと僕も母も切なくてたまらない。
長生きしてほしい。だけど苦しい思いはして欲しくない。
そんな複雑な心境。
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