「アウトプットが全て」再読することで得られた気づき
樺沢紫苑先生の「アウトプット大全」という書籍をオーディオブックで聞きながら通勤しております。
これは書籍版も持っており途中まで読んだものの読み切る前に他の本に興味が行ってしまいそのまま放置となってしまいました。Amazonのオーディブルの中にアウトプット大全があるのに気づき、せめて一度は読み切ろうということでここ数日聞き込んでいました。
もいうのも、なぜこの本をまた読もう(聞こう)と思ったのは自分の中で全然アウトプットできていないなーという実感があったから。
仕事や子供の行事などで平日が慌ただしく、週末になったらブログを書こうと思っているのに気がつけば土日も過ぎていく。ブログ書きたいという欲求はあるにもかかわらず、実際には何もできていない毎日が過ぎていく。
せめて日記だけでも・・・と、スマホの中には簡単なテキストの日記を書くけれども、寝る間際のため本当にごく簡単な箇条書き程度の日記。
雑務に追われる仕事、ただ忙しく過ぎていく毎日に変化を与えたい。何かが起爆剤となって人生が好転するような出来事がおこらないかと毎日妄想するばかりで現状は1ミリも変わらない。
なぜか?
そこには「アウトプットが無かった」ただそれだけだと気付かされました。
忙しいを言い訳にして、日々のルーチンをこなす。やってもやっても減らない雑用に時間だけが削られていく。気がつけば1日が経ち、あっという間に1週間が過ぎ、「あー、また明日から仕事かー」なんて思いながら週末を過ごすこと数ヶ月。
何も変化が起こっていない毎日・・・これはまずい。
そう思ってこのオーディオブックを聞き始めたところ、以前には読み過ごしていた内容がドカンドカンと響いてくる。
中でも一番ガツンときたのが
「人生を変えるにはアウトプットしかない」という言葉。
なんか心に響きすぎて3回くらいノートに書いたよね。
facebookもTwitterも見るだけで時間を潰していた。ブログ書こうという気持ちはあっても、結局何もしないまま時間が過ぎ去っていた。そして「何か起こらないかな?」とい勝手な思い込みだけで日々を過ごしてきた。
考えたらわかること。行動しなければ何も起こらない。それなのにずっと、何か起こったら行動しようというマインドに陥ってたぞ。そう思ったけど、しばらく書かなくなったブログを再開するのはちょっと気が重い。
そうなんだよね、やらないでい続けるとさ・・・動くのが億劫になってしまうわけ。動かないをやり続けると、それにも慣性の法則が働いてしまう。動き出すには、より大きな力が必要になっちゃうんだなぁ。
だからブログを書くぞ!と思っても、先週はなんとなく過ぎてしまった。これでは何も変化が起こらないではないか。そこで昨日はFacebookに写真をアップしてみた。これですら何ヶ月ぶりの投稿だろう。でもせっかくなので後からそこに文字も書き加えた。
Twitterでも誰かのツイートにリプライをつけてみたり、ちょっとだけでもいいからアウトプット意識してみた。するとどうだろう。ゆっくりと「アウトプットの歯車」が動き出したように感じるではないか。
いつもはただ「見ていた」FacebookやTwitterを、ちょっとしたことでいいからアウトプットを意識して発信してみる。そして気づけば今こうしてブログを書いているではないか。
ちょっとアウトプットしたからといって人生なんか変わらない!なんて言う人もいるだろう。ツイートをひとつふたつしたところで何も変わるわけがないと。Facebookに書いたところでスルーされておしまいだと。ブログなんて書いても読まれずに終わると。
確かにそうかもしれない。
そうかもしれないけど、今までのように何もしなかったら本当に何も起こりはしない。
でもアウトプットをすることで小さな動きを与えられる。ちょっとの振動が大きな揺れにつながるかもしれない。何もせずに周りが動くのをいつまで待つんだい?
動きがないのなら、自分から動きを与えていかなきゃ、何も動かない。
当たり前のことを、すっかり忘れてしまっている。単純に夢を願うだけではどうにもならないとわかっているはずなのにね。そんな当たり前のことを、このオーディオブックを聞いて改めて気付かされた。そして今、僕はこうしてブログを書いている。
この動きを止めないよう、小さくとも振動し続けていきたい。動き続けていきたいね。
そしていつかは流れになるように、書き続けていきたい。