iPhone踏み絵で見えてくる新しい世界。

昨日の朝は実家から家に戻り車を乗り換えて納品に行こうと思っていたのですが・・・まさかの「家の鍵を実家に忘れる」ということをしてしまい朝からショックを受けました(笑)

しかも玄関先には乗り換える車の鍵がある、壁一枚隔てて必要としているものがあるのにそれが取れない悲劇。30分かけて家に戻ってきたのに、もう一度実家に行くのに30分、戻ってくるのに30分・・・あぁもうイヤ!(;´Д`)

どうにかなるはずもないと思いつつ嫁にメールをしてみると、実家から鍵を届けてくれるというので家の前で待機することに。これなら往復1時間もかけずに30分待っていればいいだけですからね!

で、30分後に届けられた鍵を受け取ろうと車から降りた時に新たな悲劇が!!

 

カツン、ドス、ガッ!

 

ぎゃー!地面にiPhone6Sを落として踏んでしまい、さらにガってこすりつけてしまった・・・。

 

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液晶は割れてなかったけど・・・画面に傷が・・・。

まだ購入して一ヵ月経ってないのにね・・・。寂しいね。

 

前に使っていたiPhone5Sも同じく落として踏んでしまい画面に傷をつけてしまったのです。だから新しいiPhoneは傷なんてつけずに大切にするぞーなんて思ってたのにもう画面に傷つけてしまった。

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万が一落としてしまったとしても傷が付かないようにと買ったケースなのに。

落としたときに限って、ちゃんとフタが開いた状態で画面が地面に向かって落ちる&踏みつけるなんて・・・。

でもね、こうやって傷をつけてしまったからこそ、道具として扱えるようになりました。今までは「大切に、大切にしよう」って思いすぎて変に気を使いすぎてた。iPhoneなんてたかがスマートフォンではないか、もちろん大切に扱った方がいいのだろうけども、使うためのツールであって「大切に」保管するための物ではない。

だからちょっと傷は付いてしまったけれども、これでようやく道具として使いこなせるようになったと思える。前はケースから取り外すだけでヒヤヒヤしてたし、自撮り棒に取り付けるだけで「壊れたらどうしよう!」なんて不安になってた。これごときで壊れるはずもないのに。

画面保護シートを貼っていたら傷にならなかったかもしれないけれど、それだといつまでたっても「iPhone大丈夫かなぁ」と気にしながら生活してたかもしれない。踏みつけて傷つけちゃったからこそ「あぁもう傷ついちゃったし適当に扱える(笑)」と思えるようになった。やっぱりiPhoneは裸で使うのがCOOLでしょ!なんて思いつつ別なケース探そうと考えてます。

何かを気にしながら生活しなきゃいけないというのは小さいことのようでかなり大きく疲労します。考え方の問題ですけどね。「車が傷ついたらイヤだなー」なんて考えてたらどこにも乗っていけないし、駐車場にすら置いておくのが不安になります。だけど「車なんだから傷がついて当たり前」って考えていると変な不安に襲われないですみます。ストレスフリーですよ☆

だから大切にしているものでも「ちょっと傷ついているくらいでちょうどいい」、液晶割れくて良かったーって思ってれば幸せです♪

ちなみにこの日は目の前で自動車事故を目撃し、それを嫁に伝えたら「iPhoneが厄を落としてくれたんだねー」って言ってました。そんな考え方ステキ!さすが嫁ちゃん!愛してる!

起こった現象に対して自分がどのように考えるかで未来は大きく変わっていくんですね。そんなことをiPhoneを踏みつけた傷を見ながら考えております。