ひたすら読書に明け暮れる時もあれば、全然読まずに積ん読本が増える一方の時もある。

本の虫と積ん読

最近全然本を読めていないなぁと感じつつ、昔は時間があれば本ばかり読んでいた自分と今の自分について考えてみた。

 

大学を卒業して就職した企業では研修の時から大阪配属になってからも、時間があればいつも読書をしていました。読んだ本で気になったところは3色ボールペンで線を引き、さらに心に響いた言葉などはMOLESKINE格言帳を作り書き写していました。

 

いつしかそのノートを仕事場でも持ち歩き、特にメンタルがズタボロになった時には心の支えにもなってくれました。

自分の心が満たされるとともに読書から遠ざかる。

大阪の段ボール工場で働いていた頃から比べると、そこを辞めて講師になったとき、さらに家業を継いだ現在になるにしたがって読書量はかなり減ってきました。

 

何も社会を知らない大学生が社会人になる不安を消すには、その現場に飛び込んでみて体験するのが一番早いように思います。しかも地元から出たこともないのに、いきなり大阪に配属され、友達もおらずひとりぼっちだった自分は頼れるものが何も無く、何かを掴みたい一心で本ばかり読んでいたように思います。

 

一人でいる寂しさを紛らわしたかったのかもしれません。「じゃあ友達と遊んだらいいじゃない」というほど、友達もいません(笑)

 

平日は仕事して読書、休日は一人ででかけて読書。毎週末必ず1〜2冊は本を買って読んでいました。

 

本を読むことで自分では考えつかないような知識を得られます。会社で出世するにはどうしたらいいのか、自分のやりたい仕事をやるにはどうしたらいいのか、今の仕事は本当に自分が望んでいたものなのか?自分は何を成し遂げたいのか?自分がやりたいことは何なのか?自分はどういう人間になりたいのか?

 

本を通して自分自身と対話するようになり、自分が求めるものにたいして行動できるようになっていきました。だから「この仕事は自分がやりたいと思ったものではなく、未知なるものに興味を持って飛び込んだだけだったんだな」と気がつくことができました。

 

講師になって

その後、高校講師をやってみるとコレがもう本当に楽しい毎日♪

 

機械相手ではなく人とのコミュニケーションが増えたので読む書籍もそれらに関連するものになっていきました。講師という立場上、比較的自由な時間がとれたので相変わらず本は読んでいましたが、大阪時代に比べれば何かに思いすがるほどの強迫観念のようなものは無くなっていました。

 

生き残るための読書から、楽しむための読書にシフトしていったように思います。

 

大阪での仕事がメンタル的に厳しかったおかげで、講師の仕事は何もかも快適そのものでした。大阪での厳しさの反動で講師になってからの気の抜けようがハンパナイなと自分でも思うくらいでした。

 

それらもきっと読書のおかげで、追いつめられて藁にもすがる思いで読書をしていたことがメンタルタフネスに繋がりました。

 

家業を継いで

家業を継ぐようになって、実家で仕事をしているので心理的ストレスが皆無になってしまい・・・だらけました。朝遅く出社し、昼の時間は長く取り、3時休憩も長いし、帰るのも早い。自分のやった分が給料に直接つながるため、生活が困難を極めました。

 

それでも身近に家族がいる、家族と仕事ができる、自由に動き回れる、自由に時間を使えるということが僕にとってすばらしく充実した毎日を送ることにつながっています。すると気持ち的にもいつも穏やかでいられるため心理的な不安・不満などが無く、本でインプットをする機会がかなり減ってきました。

 

だから今はインプットよりもアウトプットしていることの方が多いくらい。こうやってブログを毎日書いているのもソレなんですね。僕の場合のアウトプットは、何かを作るアイデアを考えたり、それを実際にためしてみて、これがこんな風になったよーってブログで発信すること。

 

もちろん今でも本はたくさん買っているんだけど、だからこそ積ん読状態になっちゃっているんだなぁと気がつきました。今が充実しているから、本を読む気持ちが弱いというかなんというか。もちろん継続的に何かを学んで行くことは大切なのですが、追いつめられたようなガムシャラ感はいまのところ無いので今のペースで本を読んでいくつもりです。

 

来年からはまた会社勤めになるので、ガムシャラになる時が来るかもしれないですね☆

 

今日のナルホド!!

自分の思ったことだけを文字にしてこうやって書くのは難しいね。言葉がまとまりません。

でも大丈夫!そんな苦手な「文章」に関する本も買っちゃったからね!僕、伸びしろありますねー☆