ブログじゃなくても、エックスでも、インスタでも、スレッズでも何でもいい
今までずっとEvernoteに日々の行動記録なんかを書いてきたのだが、ここのところはずっとObsidianに書くようにしている。クラウド保存しとけばいつでもどこでも情報を取り出せる!なんて思って使っていたが、いつでもどこでも取り出す需要なんてそんなに無かったりもする。
それよりもこれからの時代であればたくさんのメモをAIに読み込ませて自分の右腕AIを作ったり、自分のメモをもとにより深く広い知見を得るため使ったりが主流になっていくのかもしれない。自分もそんな気持ちでObsidianで第二の脳を作るべく日々ログを書き残してたりするんだけど、今書いていることが本当に役立つ情報なのか?と言われると不安にも思えてくる。
日々の行動の記録、何時に何をやっただの、どこに行ったなど。でも感情の記録は大事らしいよね。AIはそもそも人間の感情なんてものを持っていないのだから、自分はこの時こう考えた、こう思った、嬉しかった悲しかったというのはその人独自の感性だ。
AIエージェントを使ってObsidian内のノートから自分の知識をさらに広げていこうと以前試したものの、その時はうまくいかずに終わってしまった。そもそも自分がAIエージェントというものをまだよくわかっていないところがあり、その知識も今後学んでいこうとは思っている。
スマホでObsidianを使って文字をポチポチしている訳だけれども、アナログのノートに文字を書いていくのも大事だなぁと思ている。仕事でトラベラーズノートのレギュラーサイズを使い、胸ポケットにはパスポートサイズを入れて感情的なものはその小さなノートに書くようにしている。ただ、それをもし職場で落としたりしたら嫌だなぁと思うわけ。スマホのObsidianのアプリに書いているものって、万が一スマホを落としたとしても見られる可能性は低いけれど、小型のノート落ちてたらとりあえず誰のだろう?ってノートパラパラ見るじゃん?別に内容までそう読まれることはないかもだけど、アナログの怖さはそんなところにあったりもする。
そんでもって、自分の中には何年も何年も考え続けている「どこに書くか問題」というものがある。これはもしかすると手帳やノート好きの人あるあるかもしれないけれど、今この考えている内容を「どのノートに書くべきか?」と悩んでしまう。いや、僕自身ずっと悩み続けてきた。
こういう考えはちょっと高級なノートに書きたいとか、安いメモ・ノートなら値段を気にせず自由気ままに書けるとか、デジタルであれば文字数関係なく何千・何万と文字を書けるなどなど。お気に入りのシステム手帳に書く?1冊数千円の高級ノートに書く?そういったことを考えていると、どこにも書けなくなってしまうのだ。
アナログな文字だけじゃない、これはデジタルで書き残すべき?とか、Xで発信する?facebook?Instagram?どこに何を書くか問題って案外深刻なのよ。
でも最近はこう思うようにしている。とりあえず書けるものに書く。スマホがあればメモアプリでもObsidianでもいいし、録音しといても良い。ノートがあればそれに、メモ帳あるならそこに。何に書くのか時が重要なのではなく、「何を」書くのかが重要なのだ!
・・・そう自分に言い聞かせ続けている。
自分から出てくる考えなんて大したものじゃないかもしれないが、形として残しておかなければそれは無いに等しい。何かしら自分はアウトプットしているはずだけど、消えて無くなる前に何かしらの形にしてこの世に生み出しておきたいと考える。
きっと大したことない言葉の一つだってバタフライ効果によって遠くの誰かに多大なる影響を及ぼす可能性だってあるんじゃないか。それってなんかロマンを感じるよなぁ。
ブログに書くことがなくたって、「何か書きたい」という思いがあって今こうやって文字を打ち続けている。人って何かしら表現したい生き物なのかもしれないよね。いや、自分がただそういう生き物だけなのかもしれないけど。
なんだい?これは自分が誰かと話し合いたいとでも思っているのか?自分が孤独を感じていて、何かを誰かと話したいとでも思っているのか?そんなことは無いと思うけれど、深層心理ではそういう対話を求めているのかもしれないな。なんて孤独な40代なんだろう。
自分が「アウトプットしたい」と言っているのも、ブログを書く意味というのも、自分が生きた証をネット上に刻んでおきたいからというのがそもそもの動機である。もし今ここに書いた文章を家で部屋に閉じこもってノートに書いてたら誰にも存在は知られずに一生を終えることだろう。しかし今こうやって書きながら最後に「公開する」ボタンを押せば大抵の人に読まれることはなくとも広い広いネットの海に解き放たれる。
わぁ!もうそれだけでロマン溢れるではないか。まぁ場合によっては「公開」ではなく「後悔」になるかもしれんけどね。
それも含めて自分からデジタルタトゥーを刻みつける人生でありたい。



