こんばんはヤマナカ(@miapom)です。
今日はFacebookにたまたま流れてきた動画につい目を奪われて何度も見てしまいました☆
それが宅配寿司チェーン「銀のさら」のCM。しかもこれって2011年のCMなんですね。
看護師「いかがですかぁ~?」 と病室に訪れる看護師さん。
怪我で入院している患者がコソコソとお酒を飲もうとして見つかってしまう。 「めっ!」と優しく叱る看護師さん。 可愛い!!僕も叱られたい!
看護師「入院中にお酒なんて、絶対ダメなんです!」 ヽ(`Д´)ノそうよ!ダメ!ぜったい☆ そして声のトーンが変わり、おもむろに外されるつけまつげ・・・
メイクを落とし、カツラを外し、ナース服を脱ぎ・・・ (・∀・)あれ?まったくの別人?
1番4番はあえて作り込んである感がまんさいですが、メイクや服装によってこれほど変化するもんなんですね♪
見た目と中身は違いますよ!というメッセージ性として「素材を見極めるチカラを」というコピーが流れ、最後に「あ、寿司屋のCMか!」となるおもしろCMです。
でもコレって日常あるあるですよね。男性の場合はそんなに変化はありませんが、女性の場合であれば化粧の前後でCMのように「まるで別人」ってこともよくあると思います。
皆さんどう思われます?
「だまされた!!」 「詐欺だろコレは!」 なんて思う人も多いかな?
僕は「4番で惚れたけど、1番がこれほどのポテンシャルを持っているならその才能も含めて好き」になってしまいます。
このCMの場合は短い時間ですごく大きな変化を演出していますが、これって恋愛においても結婚においても「あり得る」ことですよね。
もちろん女性に限ったことではなく、男性の場合もあり得ます。 付き合っていた頃はスポーツマンで格好良かった彼も、結婚した今では休日ゴロゴロしている小太りオヤジになってしまったり。
その当時の彼も、現状の旦那も「別人のようになってしまった」けど同じ人。 当時の輝かしい一面だけを見て惚れていたら、現状のもう一面はジャマな小太りオヤジでしかありません。
でも「見た目」だけが全てではないだろうから、夫の内面も含めて夫婦生活が成り立つってもんですね。
何が言いたいかっていうと、すっごく大雑把に言えば「人の見た目はどうだっていい」んじゃないかと思うわけです。
人間という魂の器は姿形が微妙に違う程度で、重要な部分はその中に入っている「魂」(心)そのものなんじゃないかなって。
「見た目はどうだっていい」というのは、オシャレをしないとか不潔でもいいってことではないです。
好きな人ができたとき「相手に好かれたい」「好意をもってもらいたい」と思うのは自然の流れであって、それを「見た目を変える必要なんてない!」と言っているわけではないのです。
むしろ好かれるように相手の好みに合わせた「性格」「容姿」「態度」に自然と変わっていきます。 結果的には「見た目」が変化していくけれども、相手のことを思って「魂」そのものが変化しているのではないでしょうか。
「自分」という存在を変えてまで「相手を思いやる気持ち」がそういう行動をさせるわけですね。それらがアウトプットされたものとして結果的に「見た目」として現れるのであって、そこには正解もないし完璧といったものも存在しません。
しかしその内側には「相手を好きになった」という自分(魂)が存在し、変化したという事実があります。 だからもし誰かが自分のために「変化」をしてくれるなら、その変化前も後も含めて見てげることが重要ですね。
簡単に言えば「良い面も悪い面も含めて見てあげる」
それでもし自分も相手を好きだと思うなら付き合えばいいし、結婚してみてもいいんじゃないでしょうか。
一面だけを見て「好き」「嫌い」を判断しちゃうとその他多くの「良い面」「悪い面」を見逃すことになります。 良い所も悪いところも含めて受け入れられたら、それは「愛してる」ってことですよね。
「彼が愛してくれない。」
「彼女が僕を愛してくれない。」
愛を「受け取るもの」として考えると、愛を感じない場合に苦しくなります。
悲しくなったり、嫉妬したり。 でも「愛する」というのは「気持ち」ではなく「行動」です。
相手を好きになる気持ちは「恋」、相手のために何か行動するのが「愛」
相手が悩み苦しんでいたら話を聞いてあげるのも「愛する」ということ。
相手が一人になりたいと言うならそっとしておいてあげるのも「愛する」ということ。
相手が寂しいと言うならそばにいてあげるのも「愛する」ということです。
彼氏・彼女、夫・妻、兄弟、家族、親、子供、友人、みんなを愛する。
一人一人が身近な人たちを愛したら、世界はもっと平和になっていくんじゃないかね。 可愛い看護師さんを見てここまで思考が巡りましたよっと♪